意味

「生きる意味がわからない」という陳腐な悩みを抱えている。この疑問がこんなにも手垢に塗れているのは、この問いが沢山の人を悩ませ、時に死なせてきたこと、そして、多くの時間や命の犠牲を経てなお、問いに対する普遍的な答えが未だ与えられていないことの証左だろう。

しかし困る。生きるのは、少なくとも自分にとってはとてもとても大変だ。骨が折れるなんてものじゃない。全身を粉砕骨折した上で、数少ない友人を呼んできて片っ端から骨を折って回ってもまだ足りないくらい大変だ。この労苦をひとりで背負い切れる気がしない。それでいて、人生は他人の骨を折って回るくらい意味のない徒労のようだ。「労苦に意味がないのではないか」という疑念そのもののが生きづらさを加速させる。だからせめて、自分が知らないだけであってほしい。まだ見つかっていないだけであってほしい。人生に、この苦痛に意味がほしい。

 

でもやっぱり意味なんてないんじゃないか。

ただただ続く無機質な責め苦こそが人生で、生きるということはその痛みをどうにかこうにか紛らわせて死を待つことなんじゃないか。

 

さっきベランダで夜風に当たりながらそう思った。人間の生にまで話を広げるつもりはないけれど、少なくとも自分の生はそうである気がする。

人間は皆所詮"生まれた"存在だ。自らの誕生に自覚的であることは決してできない。自分の命は自分の意思の及ばないところで作り出されるのだから。どんなに頭の良い哲学者だってその一人だ。そうだとすれば彼あるいは彼女がどれほど思索を深めたとしても、生まれた意味を普遍的な形で導き出すことはできないのではないだろうか。そして、生まれた意味を普遍化できない以上、生きる意味も普遍的たりえないのではないだろうか。

人生は幾度となくマラソンに例えられてきたが、確かに納得できるところが多い。参加者は思い思いの意図を持ってマラソン大会に臨む。一等賞を獲りたいという野望であったり、運動不足を解消したいという思いであったり、気まぐれだったり。中には友人に誘われて仕方なく参加する人もいるかもしれない。皆それぞれの理由をもってマラソンを走るわけだが、マラソンそのものには普遍的な意味はない。意味はないというと語弊がありそうだが、各大会が主催側の何らかの意図のもとに催されているにせよ、マラソンという競技そのものに普遍的な意味は無い。多分。そして、スタートの号砲は参加者の意思と全く関係のないところで鳴らされる。

この号砲が、人生で言うところの誕生に当たるのではないだろうか。マラソンと違うのは、号砲以前の段階では自らの意思が一切働き得ないところだ。「最近太ってきたから来月のマラソン大会行ってみようかな〜」みたいなことが人生においてはできない。だから皆、走り始めてから走る意味を考えなければならない。走ることに意味を要しない猛者もいるかもしれないが、自分のように息も絶え絶え、なんとか足を動かし続ける人、足を止めることが脳裏を行ったり来たりしている人にとってこれはまさしく死活問題だ。どうにかこのレースの意味を知りたい。足を動かす理由がほしい。そう思う人がいるはずだ。いてほしい。

恐らく、ある程度主体性を備えた人なら無理矢理にでもその理由を見つけられるのではないかと思う。その理由や各人にとってのレースの意味にきっと優劣は無い。その人がマラソンを走り続けるに足る感覚さえ手にできればそれで十分なのだと思う。

しかし自分にはそれはできない。自分が欲しかったのは普遍的な意味だったからだ。そしてそれが欲しかったのは、自分が致命的に主体性を欠いているからだ。自分自身でこの人生に意味付けをすることができない。この苦痛を受け容れるに足る意味、価値、理由は自分の中にはない。「その為に生きている」という何かを自分の力で獲得することが出来ないから、与えてほしかった。親でも友人でも頭の良い学者でもいいからそれを教えてほしかったのだ。でも、そんなものは恐らくないということがわかってしまった。その先は一切わからないのに、それだけがわかってしまったから、途方に暮れている。

 

この「マラソン」が本当のマラソンと大きく異なる点がもうひとつある。リタイアの仕方だ。本当のマラソンにおいては、リタイアに際して苦痛を強いられることはないだろうと思う。自分の調子と相談して、駄目であればすんなりレースを降りることができる。でも人生マラソンは違う。それが一時的なものであれ、リタイアには大抵多大な苦痛が伴う。どうしてだ。苦痛から逃れたくてリタイアを考えているのに、更なる苦痛を強いられるのは我慢できない。その上リタイア後の処理を巡って主に家族に相当の迷惑をかけるという。本当に意味がわからない。もはや止まっているのか進んでいるのかすらわからないが、そういうわけでレースを降りられないのだ。

それだけだ。自分が生き永らえている理由は、本当にそれだけ。リタイアが嫌なんじゃない。それに伴う心身の痛みが怖い。情けないがそれが全てだ。それが今この瞬間自分が生きている意味だ。生の苦しみと死の苦しみの相克を早く、早く克服したい。それがどちらの結果を意味するものでも構わないから。