億劫
天女が百年に一度空から舞い降りて、身に纏った羽衣で山の岩肌を撫でる。それを幾度となく繰り返すと岩山が削れやがて平地になる。それまでにかかる時間の長さを"一劫"と表現するらしい。
そして、その一億倍の長さに当たるのが"億劫"。
途方もない時間と労力は想像することすら叶わない。
天女はどうして律儀に百年の周期を守って、健気に袖を振るうんだろう。岩山をならした先に何を見ているんだろう。無知な自分にはわからない。
自分には袖を振るい続けることはできない。
一劫先は愚か、明日のことすら考えたくない。
もう何もかも面倒臭い。何も考えたくない。
将来とか、幸せとか、本当にわからない。
それじゃ駄目なんだってこともわかりたくない。
生きるってどうしてこんなに大変なんだろうか。
何をしているわけでもない。やるべきことすら放り出して、朝方寝て夕方起きてそのくせ腹だけは一人前に空いて。"堕落"なんて言葉じゃ言い足りない日々を送っているだけなのに、どうしてこんなに疲れるんだろうか。
自己中心的なはずの性格もよくよく見れば自分のために生きることすら中途半端で、「若さ」や「可能性」なんて呼ばれるものをドブに捨て続けている。気付けば田舎の駅前の寂れたシャッター街みたいな将来を前にただ突っ立っている。未来なんて疾うに失っているのに、それでも今日も肺と心臓が動いている。生きることも死ぬことも出来ないでいる。
私は一体何なんだろう。
目的も意味も価値も無く臓器の独り歩きで保たれているだけの生命の惰性を、神はどうして咎めないのだろうか。見限らないのだろうか。生きるべき人が今日死んで、死ぬべき私が恐らく明日も生き永らえる不条理を、この世に生んだ神は万能だろうか。
明後日も明々後日もこの不条理は続くだろうか。私はまた血反吐の代わりに泣き言を吐いて、醜く生き延びるのだろうか。
一日が途方もなく長い。生命維持は果てしない労苦だ。この徒労の先に、擦り減った命が消滅するその瞬間に、一体何があろうか。わからないのは無知故だろうか。