なぜだろう

来るはずのないやる気を待つのもくたびれた。

日に日に思考力は落ち、注意力も散漫になっていく。

明日の自分は、きっと今日よりも無能だと思う。

だから今日のうちに少しだけ考えてみる。

意味などない。価値もない。

それでもよろしければ、ぜひ。

 

就活をしない、就活ができない。

 

こんな毎日を繰り返しているのはなぜだろう。

なぜ就活をしない、就活ができないんだろう。

 

原因の一つとしてまず思いつくのは自分の労働観。

 

労働は苦役である。

苦役の対価として賃金を受け取るのが雇用契約である。

 

そんな確信が自分にはある。

ある種の信仰とも言えるこの確信は、自分を逃避へと駆り立てる強迫観念として思考の大部分を支配し続けている。

この思考回路は目下の就活に臨む上で致命的な障害として眼前に立ちはだかっている。が、この思想は何も昨日今日のうちに醸成されたものではない。もうずっと長いことこの檻の中にいる。

 

ではなぜ、このような労働観を抱くに至ったのか。

その要因は2つに大別できるのではないかと思う。

ひとつは、周囲の労働者の姿。

「周囲」と一言に言ってもその遠近は様々。

まず最も「近い」労働者。自分の場合、それは父親だった。

父親の働く姿そのものを目にした経験はさほど多くないが、それでも彼が苛烈な労働環境に身を置いていることは容易に想像できた。家にいる時間は極端に短く、食事を共にした記憶はほとんど無いと言っていい。文字通り、昼夜を問わず働いていた。そんな印象が強く深く残っている。休日になると、彼は1日の大半を睡眠に費やしていた。幼い日の自分は折角の休みにどこに連れて行ってくれるでもなく、四肢を投げ出しだらしなく横たわっている父親の姿を情けなく思ったものだし、週明けにクラスメイトの休日の遠出のお土産話を聞くにつけ、父親の「怠惰」を嘆いた。

話が逸れたが、ともかく父親に関しては、休日にぐったりと横になっている姿や、酒を頼って酩酊状態となっている姿など、とにかく疲弊している様子ばかりが脳裏に焼き付いている。

労働に骨身を削る父親の姿とは裏腹に、家庭は決して裕福ではなかった。裕福か否かは相対的なものであって明確な線引きが難しい概念であるとは思うが、そんなのは恐らく境界線の付近にいる人達の問題ではないかと思う。少なくとも自分の家庭は境界線からずっと離れたところに位置していた。

目に見える父親の労働量と家計の実情との間に健全なバランスは保たれていなかった。もっとも、幼心にそれを察知できるほど賢い子供ではなかったから、そこに不均衡を感じるようになったのは中高生になってからであるが。

「仕事は辛いものだ」

「生きる為には辛苦に歯を食いしばらなければならない」

はっきりと意識するようになったのがいつだったかは思い出せないが、自分にとって父親の姿はそのことを悟るに余りあった。

 

父親を見て萌芽した自分の労働観は、より「遠い」労働者の姿によって補強された。そして、今なおそれは続いている。

「遠い」労働者。それはニュースで目や耳にする労働者である。

この国において、労働者の自殺は後を絶たない。

ブラック企業長時間労働サービス残業パワハラにセクハラにモラハラ

過労死に至っては原音のまま"karoshi"として英語圏に定着しつつあるらしい。

父親の姿は、特別ではなかった。

父親の姿は、この国にあまねく存在する労働者の姿だった。

労働者の悲惨な結末を知る度に、ひとつ年齢を重ねる度に、「社会に出る」ということの意味が重くのしかかった。

 

ふたつめの要因。それは自分自身のバイト経験。

ここまで話したことは、あくまでも「見聞きしたこと」に過ぎず、仰々しく「労働観」などと呼んだものも所詮は自分の中で作り上げた労働に対するイメージの域を出なかった。

しかし結果から見れば、自分の似非労働体験はそのイメージに多少の修正を迫りこそすれ、否定するものではなかった。むしろバイトという疑似的な労働体験が自分の労働観を確たるものにしたような気がする。

では具体的にどのように労働観が修正されたのか。

一言で言えば「肉体的負担」と「精神的負担」についての認識が変わった。

これは特に父親からの影響が大きいのだが、バイト開始以前の自分は、労働における負担の重さのウェイトは肉体的なものに偏っていると思っていた。疲れた身体に鞭打って「汗水垂らす」ことに労働の辛苦があるのだと。

しかし、実際にバイトを経験し、少なくとも自分の場合はそれに当てはまらないことに気付いた。私にとってのバイトの苦しさは精神的負担に由来するものの割合が圧倒的に高かった。そもそも業務内容が肉体を酷使するものではないからということもあるだろうが、それを差し引いても、自分にとってバイトに伴う心労は重かった。

具体的に何が負担だったのか。

「自分の仕事の出来なさ」

これに尽きる。自分は様々な能力が本当に低い。対話能力に始まり、記憶力、計算能力、判断力。おおよそ「力」という字のつく性質は人並み未満なのではないかと思う。そんな自分が職場で役に立つはずがなかった。勤務中、何をしていても気が気でない。

「手伝うべきだろうか、反って邪魔ではないだろうか」

「どの作業をするのが一番迷惑がかからないだろうか」

「出勤することが店舗にとって損害ではないだろうか」

答えの出ようはずもない自問自答が頭蓋の中で鳴り止むことはなかった。バイトを始めて3年弱になるが、それは今も変わらない。そう思うなら辞めればいいのに、その決断すらできず勝手に苦しみ続けているのが我ながら滑稽だと思う。

こうしたバイト経験も労働観へと還元された。

バイトすらできない自分に、社会で仕事ができようか。

たった3年間の似非労働で心労がどうのと音をあげている人間が、数十年に及ぶ肉体的・精神的負担、それも毎年多くの人間に自殺を選択させる程の重い負担に耐え得るだろうか。

愚鈍な自分にもそれらの問いの答えは明白だった。

 

ここまで、自分の労働観とその形成過程を冗長になぞってきたが、要約すれば、

「労働は辛いし苦しいし自分のキャパシティを上回るものだから働きたくないよ〜」

という具合になる。しかしこれではまだ、「就活をしない、できない理由」の説明としては不十分だろう。「働きたくないから就活をしない、できない」のであれば、「なぜ働きたくないのか」を明らかにする必要がある。この問いは一見「辛く苦しいから」という答えによって言い逃れできてしまいそうだが、それでは詭弁になってしまうと思う。なぜなら労働は「辛み」や「苦しみ」を一方的に押し付けてくるものではないからだ。労働には対価が伴う。給与だ。雇用契約において「苦痛」は換金される。そうだとすれば、お金という対価を得られるにも関わらず労働を忌避することへの説明が要る。

恐らく、自分にとってお金は労働の対価になり得ないからではないかと思う。どういうことか。

お金に対する見方も人それぞれだろうが、自分にとってのお金は、「生命維持のための道具」としての色合いが濃い。

労働はお金を得るための営みであり、お金は生命維持のための道具。つまり、自分にとって労働は究極的には生命を維持するための営みであるということになる。

ここで新たな問いが浮上する。

自らの生命は労働という生涯にわたる苦役に耐えてまで維持するに値するか。

換言すれば

苦役に釣り合うだけの価値を自らの人生に見出せるか。

ということだ。

端的に言って、自分は自らの生命・人生にそこまでの価値を認められない。いつ終わったとしても未練はないし、できるだけ早く楽になりたいと切に、切に思う。恐らくこれから先もそれは変わらない。

なぜ、いつこうなったのかは正直よくわからない。

気付いた時には脱け殻のような感覚がしていた。

脱け殻として生まれてきたのかもしれない。

才もなく大した努力もしてこなかったため何も成し遂げられず、大きな挫折経験があるわけでもないのに学習性無気力に似た感覚だけは強く持っている。今更自分の人生を切り拓くこともできず、何かにつけ死を願うくせに、それに伴う苦痛を恐れては生にしがみついている。

「消えたい」

「砂になりたい」

と馬鹿の一つ覚えのように唱えながら歩む人擬きの一生を維持するために生涯苦役に服する必要があると考えると、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑えてきてしまう。

消えたいはずの自分の命の灯を保つために「砂になりたい」と思いながら身を粉にして働くわけだ。文字通り身を粉にして働けば砂になれるのかもしれないが。

 

就活をしない、できない原因として労働観を真っ先に挙げたが、きっとそれよりも深く、根底に近い部分にあるのは、この人生観と呼ぶには安っぽ過ぎる諦念と絶望(笑)なのだと思う。死ぬ決断すらできない人間が大仰に絶望を語っているのをどうか笑ってほしい。