「疲れた」という独り言で我に返ることが増えた。

以前と比べて行動量が増えた訳でも密度が増した訳でもない。ただ、しなければならないことが日々静かに募っていくのを、見ているだけ。

目の前の課題ひとつ、手をつける気力もない。

そんな毎日が続く。課題はしんしんと積もる。

昨日の分と今日の分。

2つの課題に手をつけるのに必要な労力は、1つの課題に手をつけるときの労力に2をかけたものと等しくはならない。それよりもずっと大きい。また今日もできない。

激しい自己嫌悪が身を灼く。

劣等感が心の腐食を進ませる。

課題ひとつをこなすにも事足りない気力が、惰眠によって、休息によって、更に削られていく。

なすべきことをやり遂げるために必要な気力と、自分の余力の差が加速度的に開いていく。

時計を見る。もう4時間もこうしている。

Twitterを開く。今日も誰かが内定を得た。

布団とネットに憑かれたまま、また1日が終わっていく。

寝たところで疲れは取れない。

食べたところで気力は湧かない。

それでも眠くなるから寝てしまうし、腹が減るから食べてしまう。

命を繋いだところで同じ日々が続くだけだとわかっているのに。

一体自分は何をしているんだろう。

摩耗を続ける精神がいつか底を突いて、生命の維持すら叶わなくなるその日までの延命治療みたいな毎日だ。

この人生は、死んだように天井を見つめる人間の余命を延ばすためにあるんだろうか。

何も生まない人間を生かそうとしてしまう本能が、生きたいと願う潜在意識が、心の底から憎い。

実際、もう最近は"何も生まない"どころではない。

自己嫌悪が社会への憎悪にすり替わって口をついてしまう。

この社会の全てが憎い。法も文化も人間もどうにかなってしまえと思う。なによりも、一切の益を生まずただ世界を呪うことだけに若さを費やす罪人を、この国は殺してくれない。それが恨めしくて仕方ない。これが自死を選ぶ度胸を持たない意気地なしの逆恨みだということはとっくに承知している。だから尊厳はいらない。自由もいらない。脳味噌だけが無駄に発達してしまったこの畜生を、早く惨めに葬ってくれ。もう本当に疲れたんだ。